1927年蒋介石による北伐が開始されるとこの町も戦乱に巻き込まれることになった。上海クーデターが起こると中国共産党と国民党の戦闘が租界の目と鼻の先で行われた。租界の多くの外国人は何もなかったように平穏を保ったが、租界の中の中国人労働者には財閥と組んだ国民党を糾弾し共産党を支援するものも現れた。結局、この戦闘では国民党が勝利し、蒋介石は共産党を弾圧し、更に上海租界の中にいた共産党支援者を殺害して事件は幕を引いた。次いで1932年には日本によって上海事変が勃発。上海クーデターの後であったため、租界の市議たちは国民党を思わせる十九路軍を敵視するものが多かった。しかし、日本が空爆を行い、軍艦が長江を登って砲撃を始めると列強市民の利権が脅かされるようになり、市議たちの意見も変わり、上海停戦協定で停戦した。これらの2つの軍事行動に対して租界の議員たちは対抗行動をとらなかったため、租界は急速に力を失っていった。
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1937年に日中戦争が勃発し第二次上海事変をとどめに、実質的に日本軍の統制下に置かれるようになった。1941年、太平洋戦争が起こると日本軍は共同租界に進駐し、英米人は抑留された。このような出来事を経た上海租界は全盛期の栄光が見る影もなくなった。日本は上海をあこがれ、それを奪おうとしたが、上海租界の繁栄と栄光を手におさめることはなかったのである。1943年南京の汪兆銘政権が公式に共同租界、フランス租界を接収し租界の歴史は終わりを迎えた。上海が日本軍から解放されると一度いなくなった外国人たちも上海に戻り始めたが、1949年以降は国共内戦で国民党が敗退し、上海を中国共産党が管理するようになり、往時の自由は戻らぬまま、上海租界の繁栄の歴史は閉ざされた。